荒地に、種をまく ディレクターズコラム
糸で紡ぐ山野の獣 獣皮を活かす職人”と革”の技
鹿、猪、熊。駆除の対象となった後、ほとんどが活用されずそのまま山に埋められてきた獣たち。山ごと、獣ごとにその個性を引き出し、ジビエレザーの製品を作るお店『と革』には、人・山・獣の縁を結ぶものづくりがあった。
CONTENTS
“ジビエレザー”との出会い
ある日、山で聞いた悲鳴
山歩きをしていた時「ピィッ」と短く甲高い鳴き声が聞こえ、茂みの奥に進んでみると、猟師が子鹿の亡骸を引きずっていた。「貰い手も処理場もないから山に埋めるんだ」と聞いて衝撃を受け、駆除された獣を生かす試みを探し始めた。
ジビエがひしめき合う『と革」
そして出会ったのが、東京都台東区合羽橋筋の裏手にある小さな革製品の店『と革』だった。鹿や猪、熊がひしめきあう店内。と言っても、並ぶのは職人による“なめし”を経て、それぞれの表情を見せる“ジビエレザー”の製品たちだ。共通の型で作られたものでも、素材となった獣ごとに一つ一つの質感は全く違い、その獣が山で過ごしてきた間の古傷、猟師が皮を剥ぐ際にできた穴などもある。革に刻まれた傷も穴もデザインに活かし、獣がどこでどう生きたかのストーリーが伝わるよう、と革の店主・高見澤さんの手により仕上げられる。本州の東西、北海道や離島、生まれ育った土地ごとに大きく異なる皮質に合わせて、なめし、染めを調整し、ひと針ひと針大切に縫い上げられる。店内に並ぶ全てが一点ものだ。
それぞれの手触り
「鹿はしなやかで触り心地がいい。」「熊はシボや毛穴があり、ワイルドな質感。」「猪は目が詰まっていて頑丈なのが特徴。」説明を聞きながら触ると、それぞれの獣らしさが手のひらから伝わってくる。上品な鹿革はモードっぽく、熊は見た目にもワイルドに。同じ本州の鹿でも暖かい地域、寒い地域で体格や質感が違ってくるので仕上げも細かな調整が必要だ。
見ようとしなければ見えない、山の今
“害獣”として沢山の獣たちが殺処分されており、近年処理場は増えつつある。しかし、獣たちの多くが利用されず山に捨てられているのが現状だ。また、一部の地域では原発事故のあとジビエ肉の出荷が制限されており、12年が経った2023年現在も、山の獣と上手に付き合ってきた地域のジビエ食文化に大きな影響が出ている。
そんな中、高見澤さんが始めたジビエレザーの取り組みは、まだ駆除獣の流通・加工も確立されておらず、市場が有るのか無いのかも定かではない。しかし、高見澤さんは「こんな勿体無いことってないだろう?このかっこいい革や爪、角を届けるんだ」と、製品化し販売することで、人と、山と、獣の繋がりを使い手が考えるきっかけを作ろうとしている。
極寒の山で見た、獣たちの現実
大晦日の冬山
年末に岩手に旅行に出かけた際、大晦日にふと思い出した。「あの革の仕入れ先の熊撃ち名人は岩手の人って言ってたな…。」高見澤さんに電話してみると「猟に出てるか確認してあげるよ」と言われ、すぐに返事があった。「猟師さんは朝から山に入ってもう4頭撃ってあり、これから解体するらしい。」こんな機会は滅多にない、と私は旅行を切り上げて、盛岡に向かうことに。年越しで帰省してきた息子さんを駅に迎えにきた猟師さんとタイミングよく合流でき、そのまま現場に同行することになった。慣れない雪道の中、猟師さんの軽トラックを必死に追いかけて山に向かった。
山男、17時間の過酷な作業
雪深い山に着くと猟師さんはずんずんと沢を下っていく。何とか追いかけてたどり着いた先には、雌鹿が4 頭ロープで括ってあり、今度はウインチ(ワイヤーを巻き付けて重量物をけん引する機械)で谷底から車道まで引き上げる作業が始まった。さっき帰省したばかりの息子さんが上下スウェット姿のまま雪山に連行されており、必死に手伝って引き上げるが、時間がかかる。
やっとの思いで鹿4頭を引き上げ終わったと思ったら、日が落ちて急激に気温が下がる中、極寒の山奥で、ヘッドライトで照らしながら皮を剥ぐ作業が始まった。ナイフ一本でどんどん捌いていくと、生々しい死体がたちまち食肉に見えてくる。しかし原発事故の影響のため、この地域のジビエ肉は出荷できないのだ。自家消費のため食べる部分を回収し、残りは山に埋める。
4頭分の作業が終わる頃には21時を越えていた。山に朝4時から入り、獣を撃って深夜まで解体をしても、鹿皮だと相場は1000円以下、熊の皮は値がつかないので捨てていたという。気合も技術も必要で、命の危険もある仕事にも関わらず、肉の出荷ができない今、実入りは害獣駆除の手当のみだ。
絶やさないために面白くする
自分の縁のある土地の獣の革を携え使うこと、縁あって手に取った品物の革の故郷を訪ねて旅に出ること。高見澤さんの技は山の獣と里に暮らす人の縁を繋ぐ事ができる。”山のめぐみを余さず使う”ことは近代化とともに一度失われてしまったけれど、今の価値観に合わせてものづくりをアップデートすれば、山が資源の宝庫として再び認識される日が来るかもしれない。