ディレクターズコラム
令和米騒動 ‐米の本当の美味しさを教えてくれた王様土鍋-
「美味しいごはんがあれば、おかずは要らない」という言葉、私は全く理解できなかった。幼い頃から夕食時に気になるのは米ではなく「おかず」だった。「米は米。味に大差はない」と米に媚びることがない私だったが、旅先で出会った土鍋『INAHO』によってその考えは覆された。
三重県・四日市萬古焼の伝統が生んだモダンな土鍋
私は幼い頃から生活環境の影響もあってか、日本米だけでなく、タイ米、中国米、韓国米、アメリカ米と色んな米を口にすることが多かった。それぞれ米には特色があり、香りや食感、味に個性がある。しかし、私からしたら「米は米」なわけで、どれも美味しく頂ける。正直言って大差はないと感じていた。米に対するこだわりがないからこそなのか、土鍋で炊こうなどという衝動に駆られたことはない。完全に炊飯器派だ。それにやっぱり「美味しいごはんがあれば、おかずは要らない」とは思えない。私の米に対する思い入れはこれぐらいのものだった。しかし、令和5年(2023年)、一つの土鍋との出会いによって米に媚びない私の当たり前がひっくり返された。
三重県四日市にある窯元
ある窯元から「ごはんを炊くことに特化した土鍋を開発し売り出す、とんでもない自信作に仕上がった」と聞き、私は取材に出かけた。やってきたのは、萬古焼の産地・三重県四日市。焼き物の産地と言っても、道中見える景色は人里離れた山奥ではなく、いわゆる市街地の風景。車は徐々に住宅地の中へ入っていき細い道を突き進んでいく。すると視界が突如ひらけ住宅地のど真ん中に大きなさら地があらわれた。その片隅には一棟の工場が建っている。それが今回の取材先「華月(かげつ)」という窯元だった。
工場に隣接する一軒家のような建物の中に入ると、華月6代目の藤井幹子(ふじいもとこ)さんが出迎えてくれた。実は幹子さん、元々は東京でフード―コーディネーターをしていたという経歴の持ち主。1階スペースにキッチンがあるのは、今後土鍋を使った料理教室もできるようにという理由から。料理教室をする窯元に出会ったのは初めてだった
華月が生んだ新作土鍋『INAHO』
早速、幹子さんに新作土鍋をみせてもらった。その名は「INAHO」。お気付きの通りINAHO = 稲穂である。土鍋の真っ白いお洒落なビジュアルもそうだが、横文字表記にして今っぽさを演出したのはファインプレー。「稲穂」だといわゆる従来の土鍋のイメージのまんまだが、「和」とか「伝統」といった言葉から連想される古めかしさを感じない。重厚感、風格があってこそ美味しい和食を生み出す土鍋、という先入観があったので良い意味で裏切られた。
人生で初めてお米に感動した瞬間
早速、INAHOで炊いた出来立てのごはんをお茶碗に一膳よそってもらった。ごはんから白い湯気が立ち、米の優しいホワッとした香りがする。
しかし、私は米に大きな感動をしたことがない。「もし食べてその違いが分からなかったらどうリアクションをしよう?」。そんな思考が巡る中ごはんをひと口食べてみた。……確かに、確かに美味い。お米って本来こういう味なんだというのを人生で初めて実感した感覚。香りというのか、風味というのか、口の中に炊いている時のあのお米の香りが味として濃厚に広がった。シンプルに美味しい。付け合せに海苔とお味噌汁も出してくれたので、一緒に食べてみた。ごはんと一緒に食すそれらおかずは非常に美味しく感じられた。その時またあの言葉が思い起こされた。「美味しいごはんがあれば、おかずは要らない」。確かにごはんは美味しかった。しかし、この言葉はやはり受け入れられない。どちらかと言うと、「美味しいごはんはおかずの良さを引き立てる」という方がしっくりきた。「美味しいごはんは食卓をより豊かなものにし、より楽しいものにする」、そう思った。スペシャルな土鍋ごはんということは間違いない。
実際にINAHOを使ったミシュランガイド掲載店の料理人は「直火熱が全体にムラなく行き渡り、米一粒一粒がふっくらと炊けて甘みを引き出す」と評価している。また、お米屋さんも「お米の良さを一番引き出す土鍋」と評し、皆口を揃えてこのINAHOを称賛する。
キッチンの味方!超ハイスペック土鍋
このINAHO、時短で簡単に料亭の味を再現できる土鍋ということは事前に知っていたが、実際炊き時間は火にかけて蒸らし時間も合わせても15分程だった。我が家の炊飯器は通常運転で炊きあがるのに40分はかかることを考えると、かなり速く炊ける。それに、この土鍋は本当に人に優しい。ほとんどの土鍋はズシッと重たい印象だが、INAHOは軽くて扱いやすい。普段棚の奥にしまわれていることが多い土鍋もこれなら取り出すのに億劫にならない。「面倒くさいは人生最大の敵」という様な言葉を古谷実先生の漫画で見たことがあるが、レンジでもごはんを炊けるこの土鍋は尚更に現代人にとってはヒーローの様な存在である。
「絶対継がない!」から一転、父娘の挑戦がスタート
NAHOは幹子さんが中心となってデザインを考案し、5代目であるベテラン職人の父・啓雄さんと共に作り上げた。実は幹子さん、大学卒業後は東京で商社に就職し「絶対に窯元は継がない」と言い張っていた。しかし、焼き物産業が勢いを失っていくのを外から見て、いてもたってもいられず地元に帰ってきた。
一度は外に働きに出た娘のアイデアが、窯元に新たな風を吹き込み生まれたこの土鍋。「現代のニーズに合わせたデザイン・土鍋の見せ方というのは幹子がいたから実現できた」と啓雄さん。しかしこの土鍋、可愛らしい見た目に反して、強火で空焚きしても割れないという強さを併せ持っている。「火にかけても割れない土鍋を作るには、原材料である土と釉薬(うわぐすり)からこだわらないといけない」と、哲雄さんが製造工程を見せてくれた。
工場見学で仰天、NASAの技術を土鍋に活用
工場は4名のスタッフで工場を回している。1日、また、月の土鍋の製造個数は一つ一つ手作りで作っているため、明言できないとのこと。機械で大量生産で作る土鍋との違いは、ここにもある。
土鍋製造は大きく分けると「土練り」、「成型」、「素焼き」、「釉薬がけ」、「本焼き」の5つの工程からなる。まず土練りを見せてもらった。土練りは、板状の土を空気が入らないように練り粘土をつくる工程なのだが、華月の土鍋が火に強い理由は、この土にあった。土には「ペタライト」というアフリカの鉱山から取れる原料が使われており、3代目の時代にスタッフの1人がNASAの文献を読みこみ、ロケットに使われているタイルの優れた耐熱性に着目し土鍋にその技術を応用したのがきっかけとのこと。大気圏に突入した際の熱に耐えうるのだから、火にかけても割れないのも納得だ。
啓雄さんは粘土を少し指でちぎると、「良し悪しはこうして確かめるんだ」といい、なんとそのかけらを口の中へ…。これは土は先代方がやってきたチェック方法で、昔から職人は舌で土を舐めて品質を確かめていると教えてくれた。私も舐めてみたが、ザ・粘土の味でよくわからない…。「職人にしかできない芸当ということか…」と感心していると、今はは啓雄さんの他に土を舐める人はいないとスタッフのひとりが教えてくれた。
続いて粘土は、成型工程で一つ一つベテランの職人の手によって土鍋のフォルムに形取られていく。そして、釜に入れて素焼きをする前に水分を抜くため、時間をかけて自然乾燥させる。
その後、低温で素焼きをすることで水分を完全に乾燥させる。華月の素焼き窯は啓雄さんも把握していないほど古くから使われているそう。確かに年季が入り風格がある。
素焼きをして完全に乾燥させたら、釉薬がけへ。釉薬をかけることで陶器に色を出したり、強度を上げたり、汚れにくくする。この釉薬にもペタライトが配合されている。ちなみに啓雄さんは日夜、釉薬の研究をしており、新しい配合を作っては焼いて、作っては焼いてを繰り返し行っている。啓雄さん曰く「釉薬は突き詰めたらきりがなく奥が深いから楽しい」とのこと。釉薬をかけた後、高温の窯で本焼きをしたら完成となる。
ハイスペック土鍋製造の危機は、窯元としてのターニングポイント
実は今、華月の土鍋づくりの要となっている原料「ペタライト」が手に入りづらいという状況になっている。ペタライトは電池などの原料になる「リチウム」が含まれる鉱物で、価格が4-5倍に高騰すると予想されているからだ。一方で啓雄さんには「変なものは作りたくない」という強い思いがある。そんな啓雄さんは華月にどのような未来を思い描いているのか…。「価格が上がったとしても出来る限りペタライトは仕入れたいと思っている。やり方は常に試行錯誤していくよ」。笑顔であっけらかんとそう語る啓雄さんからは、職人の闘志なのか何なのか定かではないが、逞しさを感じた。
「今残っている伝統工芸品と同じ様に、その時代の流れに合わせ“かたち”は変わるもの。求められている“かたち”に変わっていかなければ誰も買ってくれないし、そのもの、ひいては業界自体が衰退していく。」土鍋と向き合い続けて38年、様々な時代を超えてきた啓雄さんの言葉に、私は「伝統」の意味を再考させられた。同時に、その言葉は娘であり6代目の幹子さんへ向けられたものなのかもしれないとも思った。
啓雄さんはサラリーマンを27歳の時に辞めて職人になったが、物心がついた時には既に先代に連れられ原料の山で砂遊びをし、工場では粘土遊び、小学生に上がるとバリ取りなど仕上げ作業の手伝いをしていた。花生けの絵を描くと、先代がそれを実際に焼いて作ってくれたことがあり、その時の感動が職人に対する憧れの芽生えだった。幹子さんも幼い頃に啓雄さんに連れられ原料の山へ行き、生活環境の中に常に「土鍋」があった。華月が抱く「紡ぐ」という想い。紡ぐモノがあるからこそ覚える尊い想いだと私は強く感じている。
あとがき
「四日市はよく土鍋でごはんを食べる。その土鍋で食べるごはんの美味しさをもっと皆に知ってもらいたい。」そんなことを啓雄さんは言っていた。幹子さんも、「実家を離れていた大学時代に飲食店など外で食べるごはんがあまり美味しくないと感じていた」と言っていたが、これは生活に土鍋ごはんが溶けこんでいたからこその実感だろう。
私はこの土鍋で炊いたごはんを食べた時に、まずシンガポールの「クレイポットライス」を思い出した。ごはんと鶏肉、野菜等を土鍋で一緒に炊くシンガポールの郷土料理だ。華月の土鍋を使って炊いたら、どんなに美味しく仕上がるだろうか….!他にも、タイやインドのカレー、スペインのパエリア、メキシコのアロスロホ、アフリカのジョロフライスやチャブジェンなど、世界にはお米を使った料理が沢山ある。手間なく時短でご飯の美味しさをこんなにも底上げしてくれるINAHOは、手に取ってもらえさえすれば世界各地で愛される土鍋になれるかもしれない。日本の伝統工芸品が海を渡り、そこで暮らす人々の助力になれたら何て素敵なストーリーなんだろうか。私は大きな可能性を感じている。
美味しいものは人を幸せにする。やっぱり「食はエンターテイメント」だ。華月の土鍋があれば、お米のポテンシャルはまだまだ引き出せる。土鍋で炊くごはんってこんなにも美味しいんだということを実感できるINAHOをぜひ皆さんも体験して欲しい。私にとってINAHOは“King of Clay Pot”、「土鍋の王様」です。
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