ディレクターズコラム
曾祖母は偉人、でも父親に会社を追い出され絶縁状態。職人が運命をかけて作った世にも珍しい財布とは?【前編】
東京の下町に「天溝」という珍しい形の”がまぐち財布”作りに人生をかけているデザイナーがいる。革細工の一流家系に生まれながら、なぜか間借りの工房で細々と製作を続ける、その背景と「今、がまぐちに注目が集まるワケ」とは?手にした人を虜にするという「天溝」の製造工程と魅力を取材した。
CONTENTS
今、がまぐち財布のワケ
昭和生まれの筆者にとってがまぐちは、お母ちゃんやお婆ちゃんの持つ財布という古めかしい印象である。母は小銭をがまぐち財布に貯金しており、そこから50円のお小遣いをもらってはよく駄菓子を買いに行っていた。その道中に車にはねられ無傷で生還したことも今では懐かしい記憶。二つ折り財布や長財布が主流となった今、がまぐちは「過去の財布」といったところだろう。しかし、今あえて「がまぐち一筋」で財布作りに奮闘する職人がいる。しかも、その財布は「こんな形は見たことがない」と多くの人を驚かせているらしい。一体どんな財布なのか?そして、なぜ今がまぐちなのか…?そのワケを探ることにした。
がまぐちとの出会いはストリート
噂のがまぐちを手がけているのが、東京都墨田区向島に小さなアトリエを構えるレザーバッグブランド・ニュピ(GNUOYP)。代表でありデザイナーの小川陽生さんは、自力でこのブランドを立ち上げて10年になる。
アトリエでまず目に入ったものは、流木や木彫りの人形、アンティーク調のインテリアなど、小川さんの趣味趣向が詰まった空間。ここで財布やバッグなどの革小物をハンドメイドにこだわってデザインしているという。
小川さんは蔵前生まれの生粋の東京人。地元での交友関係が広く、これまでにも様々な職人やアーティストとコラボレートしてきた。そのネットワークが「がまぐち作り」の原点でもあった。というのも、小川さんは元々がまぐちに特別な興味があったわけではなく、友人のスケーターが小銭入れに使っていたがまぐち財布を見て「カッコいい!」と思い、このまぐち財布との久々の出会いから新しいインスピレーションを得たのだ。
スタリッシュで無駄がない「天溝」のデザイン
ニュピの看板商品が「天溝」と呼ばれるがまぐち財布だ。天溝は従来のがまぐち財布と違い、開口部に突起状の捻り(通称「げんこ」)がないため、スッキリとして丸みを帯びたフォルムになっている。もちろん”がまぐち”なのでガマガエルのように大きく口が開き、中身を確認しやすく物の出し入れも容易だ。天溝はその見た目の美しさから、東京の芸者さんが花名刺を入れる名刺入れとして使われていたそうだ。
小川さんはこのスタイリッシュな天溝のデザインの「今っぽさ」に目をつけた。「キャッシュレス化が進み、あまり物を携帯しなくなった現代のライフスタイルにもフィットする」と、デザインに採用することにしたのだ。完成した「ニュピの天溝」は、厚さ1センチと極薄なのにも関わらず、小銭入れ、カードポケット(長財布だと10枚のカードが入る)、お札などを入れるスペースも備えられている。そして財布の内側に取り付けられた留め具が、開閉時にがまぐち財布特有のパチンという音を鳴らす。「この音が、何かやみつきでずっとやっちゃうんですよね」と小川さん。筆者も梱包材のプチプチを潰すかの如く、幼い頃にはがまぐちの音が快感で、ずっと鳴らしていたものだ。今の10代20代にも伝わるのかな?
皮を革にしたい〜野生鹿革の魅力
ニュピの天溝は、手に収まるサイズ感で握り心地も抜群に良い。それは財布のコンパクトさだけが理由ではない。使用されている『鹿革』特有の柔らかさがその触感を生んでいるのだ。
鹿革といってもただの鹿革ではない。いわゆる害獣として駆除されてしまった野生鹿の革だ。鹿による作物への被害は農家にとっては死活問題だが、小川さんは「ただ害獣として命を終わらせるのではなく、人のために役立つ生命として活かしたい」という思いから、野生鹿たちの『皮』を『革』にすることを決めたという。
“なめし”という皮の腐敗をおさえるための加工も、対象となる鹿が生息している神奈川県で行っている。野生鹿革は普通の革とは違って均一なものではなく、すり傷があったり弾痕があったりと個性が出る。小川さんはその野生革の個性溢れる表情を活かすため、完成品をイメージしながら、自らパーツの一つ一つを裁断している。そのため製品の全てが一点物。同じものは一つもない。街で誰かが同じ財布を持っていたとしても、きっと全く違うものに映るはずだ。
ちなみに、小川さんはデザイナーでありながらデザインをするだけでなく、革のセレクト、裁断、革に絵柄をつける「型押し」、ニュピのロゴの刻印までを自身で行っている。その先の縫製や組み立てといった小川さんには出来ない特別な技術が必要な工程は、別の職人の力を借りてニュピの製品が出来上がるのである。
偉大すぎるひいばぁちゃん。そして、父との絶縁。
偉大な曾祖母とレザーバッグ職人の家系
取材していると、小川さんが繰り返し発する言葉があった。
「職人第一のものづくりがしたい。」
その理由が垣間見える話を聞いた。実は小川さんの曾祖母は、日本で初めて革のハンドバッグを作った職人・重田なを。小川さんは3代続く革職人の家系に生まれていたのだ。
重田なをさんは、若くして東北の田舎から上京し、当時では珍しい女性職人として革バッグをつくる技術を身につけた。関東大震災で家財道具だけでなく商売道具も燃えてしまった時「この腕があればなんとかなる」と家族を支え、職人として生き抜き大成した人物だ。謂わば日本のヒストリーである。ヒストリーは英語でHistoryと書くが、つまりは「Hi-story」 = 尊いストーリーなのである。
重田なをさんの半生については、NHKがドラマにしようか考えていた時期もあったそう。結果そのクールでは『おしん』が制作され、ドラマ化されることはなかったが、知る人ぞ知る著名な職人だったのだ。そんな曾祖母を持つ小川さんは、物心ついた頃から「革」のある環境で育ち、「将来は革の仕事をする」と無意識に思っていたそうだ。
父との確執と独立
小川さんは大学を中退し、イタリア・ミラノへ渡って、職人の技巧やテキスタイル・デザイン等の修行を積んだ。その後、日本へ帰国し実家のレザーバッグ会社で働き始めた。社長である父親がデザインを行い、職人がそれを形にする。小川さんはそのような環境で多くの職人達と交流を持つようになった。会社は大手百貨店に商品を卸し販売するなど、業界のメインストリームに販路を敷いていた。
一見、業界でキャリアを構築する上では恵まれている環境のように思えるが、小川さんはその頃から職人に対する憂いを感じるようになった。きっかけは、百貨店から送られてきた売れ残り商品の入ったダンボール。開けてみると、そこには商品が乱雑に詰め込まれていたのだ。
「報酬も決して多くない中、職人が時間をかけて一つ一つ丁寧に作った物をあのように扱われているのを見てショックを受けた」というのが当時の心境だったそうだ。マエストロと呼ばれ地位も確立されているイタリアの職人と比べ、軽視される日本の職人。その後、父に異議を申し立てたが意見が合致することはなく、挙げ句の果てには会社から追い出された。こうして、小川さんは独立し自身の理想を追求するブランドを立ち上げる決意をする。
【後編】へ続く
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