曾祖母は偉人、でも父親に会社を追い出され絶縁状態。職人が運命をかけて作った世にも珍しい財布とは?【後編】

ディレクターズコラム


曾祖母は偉人、でも父親に会社を追い出され絶縁状態。職人が運命をかけて作った世にも珍しい財布とは?【後編】

東京の下町に「天溝」という珍しい形の財布作りに人生をかけているデザイナーがいる。革細工の一流家系に生まれながらも、父との衝突から1人で新たにブランドを立ち上げることに…。後編では「天溝」を作り上げるまでの様々な出会いと苦労、そして職人の緻密な作業の全貌が明かされる。


はやし りゅうた

神奈川県出身のディレクター。TV番組制作(ドキュメンタリーやニュース・情報)→TV・WEBCMなどの広告映像制作→今は映画とかドラマにも首をつっこんでいる。趣味は寝る、食う、遊ぶ、旅をする。


前編のあらすじ

一風変わったがまぐち財布を作るレザーバッグブランド・ニュピ。デザイナー兼代表の小川陽生さんは、「日本で初めて革のハンドバッグを作った女性職人・重田なを」を曾祖母に持ち、自身もイタリアでの修行後にレザーブランドのデザイナーとして人生を歩み始めた。しかし職人とデザイナーの関係について、一緒に仕事をしていた父親と対立。会社を追い出され、独立することになった。

職人の腕を生かした新しい挑戦

新たな決意

独立はしたものの事務所もない状態だった小川さん。製作活動の傍ら、日々BARでのアルバイトをして生計を立てていた。そんな時、東京墨田区にある革問屋・ロジックの社長と知り合ったことが転機となった。事情を知ったロジック社長は、小川さんに「自分の会社の2階を事務所代わりにして、1階の工場も一緒に使えば良い」と提案してくれたのだ。そこが現在のニュピのアトリエである。

小川さんはロジックの2階を拠点に自身のレザーバッグ作りを始めた。小川さんは、「父の知人は頼らない」と心に決め、一緒に製作をしてくれる職人を一から探した。幸いにもロジックには革に関わる様々な人が出入りしていため、職人と知り合う機会も多かった。加えて自身の足を使うことで“ある職人”と出会い、「天溝」作りに人生を捧げることになった。

ロジックの外観
ロジックの内観(1階)
様々な種類の革が陳列されている
ロジックの製造スペース

ちなみに、この頃小川さんは、父から「神輿で半てんを着るな」と言われ(祭り文化の浸透したなんとも下町らしい表現だが)、ほぼ絶縁状態だったという。しかし新たな販路を開拓する中で、父の大きさを実感する。革業界は広いようで狭く、知り合った人々の多くが父と繋がっていたのだ。そして、ロジックの社長もその一人だった。「父との関係があったからこそ、皆自分に協力してくれたのだと思う」と小川さん。
その後、ニュピの初めての展示会を開くと、父の姿もあり久々の会話があったという。父が展示を見て「まあまあだな」と言い、続けて「バッグは好きか?」と訊ねると、小川さんは「好きだよ」と答えた。あまり長い会話ではなかったが、その後2人の関係は雪解けしたそうだ。「父の会社にいた時、自分はまだ若く何も知らなかった。新しい職人探しや販路の開拓をする中で、親の凄さを実感していった」と小川さんは当時を振り返る。そして、小川さんは「ずっとお世話になっているロジックの社長にはいつか成功して恩返しをしたい」と語っていた。

絶滅危惧の職人芸でつくるニュピの天溝

がまぐちを作って50年のおじいちゃん職人

がまぐち財布は、口金と呼ばれる金具に生地・革をはさみ込むことで財布の形になっている。天溝には一般的なものとは違う特別な口金が使われており、扱える職人がほとんどいない。小川さん曰く、関東だけでも2〜3人しかおらず、職人を探すのに一苦労したそうだ。現在小川さんと二人三脚で財布を作っている天溝職人は、千葉県千葉市美浜区にいるという。

稲毛海岸にほど近い所にある『中川守和匠店』。店主の中川守和さんは76才で、この道50年のベテラン職人。その見た目は所謂硬派な職人イメージとは異なり、とてもカジュアル。Dickiesのオーバーオールがトレードマークの笑顔がチャーミングなおじいちゃんだ。

中川さんポスター
中川さん(ご本人)
店内・財布

50年の経験が培った、コンマ数ミリの感覚

早速、工房を見せてもらった。中川さんが行う工程は大きく分けて「革すき」「縫製」「組み立て」「成形」「はめ込み」の5つ。革すきは機械を使って行うが、パーツごとにコンマ数ミリの感覚で調整が必要だ。ポケット部分や口金に入れ込む部分など、革が重なる箇所はさらに薄くすいていくが、これは長年培ってきた指の感覚で厚みを確かめ微調整しているそうだ。
革すきを終えたら、それぞれのパーツをミシンで縫い合わせたり、糊を使って貼り合わせながら組み立てていく。

革すき機。年代物で数百万円もする高級外国車なみのお値段なんだとか。
更に別の革すき機を使い更にパーツの部位を薄くする。
ミシン縫製
バラバラだったパーツを組み立てていく
組み立て終えたものがコチラ

組み立ての最後は「はめ込み」。ヘラのみを使って口金に開口部の革をはめ込んでいく作業だ。
見た目はとてもシンプルな作業だが、熟練の職人でないと簡単には出来ないらしい。中川さんのアシスタントも4年間はめ込みにチャレンジしているが、未だに上手くできないという。
中川さんはスッスッスッと革を華麗な手捌きではめ込みながらも、「はめ込むことはできるけど、革にシワをつくらず均等にはめ込んでいくのがちょっと難しい」と控えめに話していた。とても謙虚な職人さんだ。
そして、いよいよ仕上げの作業。革をはめ込んだ口金をトンカチで叩いて形を整えるのだが、「下手に叩くと口金が歪んでしまうので失敗はできない」そうで、最後まで気は抜けない。これは昔ながらのがまぐち財布にはない工程で、天溝だけにある繊細で難しい工程とのこと。

職人が激減した理由

それにしても何故、天溝の職人の数が減少したのか…。中川さんに聞くと、職人が減った理由は時代の変化とともにがまぐちの製品が減り収入が不安定になったことで、生計を立てるのが厳しくなったからだという。特に天溝は、通常のがまぐち財布より手間がかかり多く作れない割に工賃が低いため、転職をする人が増えたそうだ。また、業界全体が外国産との価格競争の煽りを受けたことで職人の数が更に減っていった。
それでも中川さんは「楽しいから」ということを理由にがまぐち作りを続けてきた。がまぐち財布の口金も今では国産品が少ないそうで、「外国産のものも悪くはないが、丈夫で壊れにくいのは国産品」と、中川さんが教えてくれた。ちなみに、ニュピの財布の口金は日本製。どこまでもMade in Japanにこだわっている。

天溝口金(左)ヘラ(右)
はめ込みをする中川さん
出来立てホヤホヤの天溝◊

無茶振り小僧とポジティブおじいちゃんだからこそ

中川さんが、小川さんから「天溝の長財布を作りたい」という相談を受けた時は、とても斬新なアイデアで「やってみたい!」と即座に思ったそうだ。しかし、完成させるまでに一苦労があった。
本来がまぐちは、中は広いポケットが1つあるのが基本のシンプルな作り。しかし、小川さんがデザインする天溝は、厚さ1cmの中にカードポケットを複数取り付けた上、小銭用の袋部分まで作るという、従来の天溝にはない造りだったのだ。中川さんは革の厚さを調整するなど、何度も試行錯誤を繰り返し、小川さんのデザインを形にした。「こんな若造のワガママをいつも聞いてもらって申し訳ない」と言う小川さんに対し、「新しい挑戦ができて楽しいです」と中川さん。この2人だったから、ニュピの財布を形にすることができたのだろう。

デザイナー・小川陽生さん(左)と職人・中川守和さん(右)

日本の風景には“がまぐち”がある(あとがき)

“がまぐち”は元々明治初期にフランスからやって来た外来品。がまぐちスタイルのバッグや財布は、当時オシャレでモダンな高級品として人気を博し、戦後輸入が増えて価格が下がると、庶民に広く普及。婦人向けファッションの定番アイテムとなった。がまぐちというと、昭和時代のお母ちゃんやお婆ちゃんが連想されるのは、その時代の日本人の生活に深く溶け込んでいたからこそだろう。

小川さんと中川さんが作る天溝がまぐち財布のコンセプトは「現代ライフスタイルにフィットする財布」である。天溝スタイルのがまぐちが、再び人々に愛され、日本の風景に当たり前のように映る日が来るのかもしれない。

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