松重見聞録
ひれ伏して謝ります。
今回の行き先は、東京都台東区。そこはビニール傘を世界で初めて作った工房で、商品はどれも1本1万円以上するという。今やコンビニでも簡単に買えるビニール傘に、一体どんなこだわりが詰まっているのだろうか。ビニール傘誕生の歴史とともに紐解いていく。
CONTENTS
使い続けられるビニール傘
突然ザーザー降りの雨が降ってきて、慌ててお店に駆け込みビニール傘を購入ー なんて経験、きっと誰しも一度くらいはあるのではなかろうか。手軽に手に入るビニール傘だが、東京・台東区で300年続く傘問屋「ホワイトローズ」が作るのは、どれも1本1万円を超えるビニール傘。なんと上皇后美智子様も使われているという。
風が吹いても怖くない
こだわりは、ビニールの部分に「逆支弁」という穴が開いていること。内側からの風を通すためのもので、風が吹いても煽らずに差すことができる(雨は漏れない)。そしてビニールは濡れてもベタつかず、-20℃まで固まらない。椿や桜でできた手元は高級感があり、普段目にしているビニール傘とは全く違うものだということがわかる。ホワイトローズでは全ての部位の修理・取替も行っていて、“ビニール傘なのに”1本持つと5年、10年と長きに渡って使い続けられるそうだ。
ビニール傘はなぜ生まれた?
はじまりは「傘カバー」
ビニール傘が生まれたのは戦後。当時の傘生地は綿が主流だったが、濡れると色落ちして服にシミがつくという苦情が多かった。そこで、現社長の父でホワイトローズの9代目が、綿傘の上に被せるビニールのカバーを開発。一時的に大ヒットしたが、程なくして撥水性のあるナイロンの傘が出回るようになり、カバーが必要無くなったことをきっかけに、骨に直接ビニールを張るビニール傘を生み出したのだそう。
東京五輪で転機
5年かけて開発したビニール傘だったが、初めは「布傘職人の仕事を減らすことになる」と小売店に受け入れられなかった。ところが、東京五輪を観にきていたアメリカの傘メーカーがビニール傘に目をつけ、ニューヨークで販売されることに。これをきっかけにファッションアイテムとしてビニール傘が世界中から脚光を浴びるようになり、日本でも高級品として扱われるようになったそうだ。現在では海外での大量生産化が進み安価なアイテムになったが、ホワイトローズは今でも高級品としてのビニール傘作りに誇りを持って取り組んでいる。
傘職人の仕事場に潜入
ホワイトローズの傘が作られているのは、千葉県旭市。ビニール傘というと、機械を使って流れ作業…というイメージがあるが、社長曰くホワイトローズの傘は“手作りのかたまり”だという。
まずは傘の生地であるポリオレフィンフィルムという素材を刃型で三角形に裁断。この作業には松重も挑戦した。
全て手作業だった
切り出した三角形のフィルムは2層に重ね、高周波を当てることで溶着し一枚の生地に仕立てていく。高級感と耐久性を高めるのに役立つ縁のテープは、ミシンで一つずつ縫い付け。さらに、生地と骨を繋げる「つゆ先」は手縫いで取り付ける。縫い方は傘から外れにくい伝統技法だそうで、職人の複雑な針と糸の捌きはぜひ動画をチェックしてほしい。
生地と骨を組み合わせたら、仕上げは石突と呼ばれる先端部分と手元の取り付け。軸の先端に糊を付けたら、しつけ糸を巻いたところに部品をねじ込む。これでようやく1本の傘が完成だ。
これだけの手間を経て出来上がった傘を手にした松重は「絶対に失くしたくない」とぽつり。
傘作りを見ていたらアイデアが…?
傘作りの一連を見学した松重。すると突然「さっきのあれ…」と、工房で何かを探し始めた。どうやら、傘のデザインであるアイデアが浮かんだらしい。一体どんなアイデアなのかはぜひ本編で。
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