飛ぶ鴨に網を投じて絡めとる 伝統猟法”坂網猟”の今昔物語

熱狂と酔狂 ディレクターズコラム


飛ぶ鴨に網を投じて絡めとる 伝統猟法”坂網猟”の今昔物語

飛び立つ鴨に網を投じて絡めとる
伝統猟法”坂網猟”の今昔物語

加賀の前田家で武士の鍛錬として推奨された、網を投擲して鴨を捉える秘技・坂網猟。鴨を傷つけない猟法によって実現する絶品鴨肉の猟師たちに密着しました。


酒井 純信

社会の檻の錠前破りにしてひとり働きの動画屋。死んだ魚の目なんて比喩がありますが目をキラキラさせ生きるおっさんも同時代にいる。その生き様を動画で綴りインターネットに流しますので、檻から抜け出す鍵を見つけてください。


美味しい鴨が食べたいだけかも

「外様が武芸?謀反しちゃう感じ?」「むほんじゃないです!ごはんです!」徳川家の治世の中、外様大名ながら幕末まで生き抜いた前田家加賀藩の支藩に大聖寺藩があった。茶の湯と工芸を奨励しおもてなし文化で知られる金沢を筆頭に、すっかり文系大名家のイメージが定着している前田家領地の片隅で、夕闇に身を潜め細身の網で飛行する鴨を撃墜する凄腕猟師たちがいた。心を研ぎ澄ませ手に技を磨く坂網猟は江戸期から続く伝統猟であり、食いしん坊の仮面をつけこっそり武芸を磨く外様大名家の工夫でもあった。きめの細かい鴨の身に、窒息させ締めることで血が周り旨みが増す、坂網猟の鴨は地元では結婚式の引き出物として贈られるなど、特別な食材として珍重され続け今に至っている。

凪の時代が来たかも

戦乱のない世の中が続く太平の江戸期の加賀ではいくさ場の心を忘れぬよう坂網猟が推奨されたが、そこから令和に進み町中で鉄砲で打たれる心配がなくなったら、鴨までもが太平の世に突入!?すると…あれっ?鴨池に鴨来ない!それもそのはず、うまい食いもんだった鴨はカワイイ鴨チャンとしてリブランディングに成功、人里離れた鴨池に隠れ休まずとも町中で暮らせるようになり、地域の鴨が集まりかつては数万羽いた鴨池もすっかり過疎化、若い奴らはみんな街に行っちまった。町中で鉄砲を撃って鴨を捕まえようとすると人間の方が捕まっちゃう。そうして鴨池にくる鴨は減っていった。

かつては真鴨がひしめき合ったという鴨池
網で1羽ずつ捕えるので食肉としてのコンディションは最高

時代は…変わっちまったのかも

50年前は鴨が50倍くらいいたし、一年のうち半年近く坂網猟が許され、たくさん鴨が獲れていたから米を作るより鴨を捕まえて売る稼ぎの方が多い人もいたと言う。本当に稼げるからこそ猟師たちの腕も磨かれ、技術レベルは総じて高かった。しかし今は過疎の池、猟期は3ヶ月に縮小され鴨は以前に比べて少ししか穫れず、短い猟期に少ない鴨が相手だから技を磨くチャンスも減って坂網猟はピンチを迎えている。しかも免許にかかる費用70,000円はたくさん獲れていた頃のまま据え置き。ステルス値上げに抗議する若手も居たが、じいちゃん猟師達は文化の担い手として誇りを持ってもらえるよう技の伝承に余念がない。猟期以外も狩場の木々や下草のメンテナンスをし、若手に坂網猟を引き継ぐために網の作り方も引き継いでいる。かつては実のある副業だった坂網猟は、伝統文化の保存へと性質を変えつつあるのかもしれないが、鴨池の周りに集まり技を伝える交流は年齢のかなり離れた世代を繋ぎ、土地の誇りを若い世代に手渡す場所となっていた。

Y時型の網は鴨が入ると包み込むように絡まるので外すのも大変

坂網の鴨、一番美味いかも

夕方に空腹状態で飛び立つ鴨を捕獲する技や道具は実は日本各地に見られたが、伝統猟として継承されているものは加賀だけとなっている。高価に取引される美味い鴨の猟法は他地域では飯のタネだからあまり他人に教えないため広がらなかったが、加賀では藩に推奨されたことが令和まで続く集団での技術習得と継承につながったのかも知れない。空腹のため内臓が綺麗で、脂を良く蓄えた野生の個体を、鴨に傷を付けない網で捕獲する。身体に傷がつかないのは熟成が大切な鴨肉界では圧倒的なアドバンテージで、鉄砲の場合散弾で内臓が傷つけば熟成に支障が出るが、坂網の鴨は綺麗な身質のまま全身を楽しめる。一流が締め、一流が調理する加賀に伝わる坂網の鴨、繊細な身質で歯応えは軽く、しかし旨味は濃厚な逸品を是非現地でお試しいただきたい。

鴨肉は血の味を楽しむ
治部煮をアレンジしたしゃぶしゃぶ風の治部鍋