荒地に、種をまく ディレクターズコラム
雪国まるごと1本のお酒に こだわり過ぎて限定80本になった超希少リキュールとは
北海道・下川町。道内でも中央北部にあるその町は、夏の最高気温は30℃、冬の最低気温はマイナス30℃、寒暖差60℃にも及ぶという。そんな土地で、ある食材を使った珍しいリキュールが作られていると聞き、真冬の豪雪地帯へ探しに向かった。
自然が詰まったクラフトリキュールとの出会い いざ極寒の土地へ
それは2022年の秋。たまたま立ち寄った北海道の物産展で、海鮮や味噌ラーメンといった”ザ・北海道”な食品たちの中に、”クラフトリキュール”という見慣れぬ商品を見つけた。
北海道・下川町の素材を使ったというそのリキュールは全部で4種類。“トドマツ” “トマト” “ハチミツ”、そしてこの3つをブレンドさせた”EZOUSAGI”。勧められるがまま試しに飲んでみると、これが本当に驚いた。口にする前から漂ってくる香りには、それぞれの素材がそのまま生かされていた。更にリキュールの爽やかな味の中に、訪れたことのないはずの下川町の自然をそのまま感じられた気がした。トドマツに至っては、まさにお酒を通じて森林浴をしているかのようだった。
初めての体験で、その興奮を担当者の男性に伝えると、「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言われたのち、「実はいま、新作のリキュールも製作中なんですけど…」と教えてくれた。
待ち受けていたのはマイナス16℃の世界
2023年1月、リキュールが完成したと連絡を受け、現地へと向かった。都内から約7時間をかけ、ようやく到着した下川町は、まさに雪景色そのもの。普段見慣れている都心のビル群のような狭窄した景色はそこにはなく、視界いっぱいに広がる一面の雪が光り輝いていた。この時初めて知ったのだが、現地の人たちは昼に運転する際サングラスをかけなければ雪からの反射で前が見えなくなるという。
そして覚悟していた寒さといえば、それはもう想像を超えていた。自分なりに極暖インナーとダウンのアウター、さらにはスノーブーツと装備を整えて来たつもりだったが、文字通り肌を刺すような極寒ぶりで、思わず笑ってしまった。今後の人生、ここより寒い場所へ行くことはないだろうなと確信できた。
冬の積雪量が1ヶ月で1.5メートル以上!? 豪雪地帯ならではの暮らしぶり
「豪雪地帯での運転は怖くてできない」と怯える私たちを、物産展の担当者が迎えに来てくれた。
倉澤晋平さん。リキュール「EZOUSAGI」の発案者で、なんと本業は下川町役場の職員。下川町を代表する産業である林業や農業を担当する中で、地域の特産品を生かしてものづくりを始めたそうで、そのヒット商品第1号がリキュールだったという。
倉澤さんが街を案内してくれ、貴重な話をたくさん聞くことができた。
この地域ならではの農作物の育て方や、町の人たちの暮らしぶり。下川町は人口3000人ほどの小さな街で、中心部にスーパーとコンビニはそれぞれ1店舗しかない。しかもコンビニも23時には閉まってしまう。
終日除雪車が走り回り、毎日何度も雪かきが必要な過酷な冬。困っている人がいれば知らない人でも手を差し伸べてくれるのだという。
現に、部外者であるスタッフの為に倉澤さんは街中を案内してくれたし、多くの人が取材・撮影にとても協力してくれた。林業を見学しに森に足を運んだ際には、現場の方がわざわざ大きなトドマツを切る様子を間近で見せてくれ、その様子をばっちりカメラに抑えられるポジションまでアドバイスしてくれた。
街の人の気遣いに、心が温かくなった。そして物理的に体を温めてくれたのが、倉澤さんが貸してくれたこの作業着。そんなに厚手ではないのに、特殊な素材でできているらしく、これを着ていれば山の中で雪に埋まりながら撮影していても全く寒くなかった。
スキージャンプの街・下川町
下川町が誇れるもののひとつに、スキーがある。2014年のソチオリンピックをはじめ、数々の国際大会で記録を残してきたスキージャンプの葛西紀明選手は、この下川町出身だ。
町内に開設されているスキー場では、町の子供たちは必ず授業で習うのだという。スキー場に足を運んでみると、まだ体の小さな小学生たちが、次々とジャンプ台から宙を舞っていて驚かされた。
ちなみに、街の規模からして意外だったのだが、下川町には宿泊施設が2軒ある。私たちは今回、「森のなかヨックル」というコテージに宿泊した。
山を目の前にしたこの施設は観光客向けに作られたもので、中にはここで長期滞在をして周辺エリアへの観光の拠点にする人もいるらしい。
機密性が高く外の寒さが嘘のように思えるほど暖かい部屋の中は、そうするのも納得できるほどに居心地が良かった。(キンキンに冷えたアイスを爆食いしてしまうほどである)
自然新作リキュールがついにお目見え、材料はまさかの…
下川町の特産品「トドマツ」「トマト」「ハチミツ」を使ったEZOUSAGIのクラフトリキュール。新作も、お酒としては珍しいある特産品を使用して作ったという。
その正体を確かめに、向かったのは農家・吉田公司さんのビニールハウス。
雪が積もり始めるともちろん作物を育てることはできないが、吉田さん曰くそれがいい畑づくりに繋がっているという。「雪が多く降ってくれた方が、雪解けと一緒に土壌の悪いものを流してくれるから、土がリセットされる。だからこの畑で作る農産物は美味しいんです」
究極に甘い「とうきび」をお酒にしてみたい!
そんな畑で、雪のない季節に吉田さんが作っているのが“スイートコーン”。
一般的にコーンは屋外の広大な畑で大量に育てることが多いが、あえて小さなビニールハウスの中で手間をかけて育てることで、糖度が高いものが採れる。
倉澤さんいわく生で食べても美味しいほどで、その魅力に惚れ込み、今回リキュールの原料に選んだそうだ。そんなに美味しいトウキビを使ったお酒は、一体どんなものになっているのだろうか?
コーンをむしり続けて18時間….珍しい原料だから、製造も手探り
下川町で採れたスイートコーンは、すぐに製造所へ送られる。
その数なんと140本。
全て手作業で一粒一粒実を取っていくのだが、素材の鮮度が落ちない内に終える必要があり、およそ18時間もずっとこの作業を続けなければならない。粒にしたトウキビをマッシュしてポタージュのように液体になるまで仕込んでいく。仕込み期間は3日を予定していたが、本当に手間のかかる作業で、実際には1週間もかかったそうだ。
その後、下川町のミズナラを使った樽でおよそ半年間熟成させて、ようやく完成したお酒は90ℓにも満たないほど。ボトルにしてわずか80本しかとれなかったという。
熟成直後、完成したばかりのお酒をいただくことに。
蓋を開けれたときから漂う優しい香りは、頭の中を美味しそうなトウキビでいっぱいにしてくれる。
味については、どこかバーボン・ウイスキーを感じさせるものの、口に広がるより深いトウキビへの味わいが、お酒に詳しくない私にもハッキリとその違いを教えてくれる。前作までのお酒にはない、大人なEZOUSAGIが誕生した。
徹底的なまでの下川町産へのこだわり
このスイートコーンリキュールへのこだわりは、お酒だけには留まらない。
子熊とスイートコーンが描かれた和紙のラベル、丸くなめらかな手触りが特徴のボトルキャップや木枠もまた、下川町の素材や縁のある作家の手で作られている。1本22,000円とお酒としてはかなり高い価格設定は、珍しいからと価格を吊り上げている訳ではなく、原料からボトルに至るまで、細やかなこだわりを込めた結果だったという。ここまで徹底して下川由来へこだわる酒造りの裏には、一体何があるのだろうか。
取り残されていく、この小さな町の為に
「このお酒を通して、下川町を知ってもらえたら」
倉澤さんが熱を込めてこう話してくれた背景には、過疎化という地方ならではの深刻な問題があった。
先に記述したように、下川町の現在の人口は約3,000人。しかもこの数字は、年々減少している。
かつては電車も通っていたが、約30年前に廃線となり、今では1〜2時間に1本程度、バスが出ているのみ。厳しい現実がそこにはあった。
この状況を危惧した倉澤さんは、仕事で付き合いのある農家や林業の関係者たちに協力を仰ぎ、この町に新たな特産物を作ろうと動き出したのだった。こうして誕生したのが、クラフトリキュールEZOUSAGI。
生まれ育った、自然豊かなこの町の為に。
ささやかだけど壮大な願いが、この小さなボトルには込められている。
いつだって風は緩やかに
3日間の取材を終え、下川町を出る時間になった。
帰りのバスを待っている間、なんとなく町の様子を眺めていると、ふとある事に気付いた。
倉澤さんが貸してくれたあの特殊なジャケットはもう着ていないのに、不思議と辛く感じない。
初日、あれだけ騒いでいた寒さは、もうすっかり肌に馴染んでいるようだった。
「この地域はね、あまり強い風が吹かないんです」
倉澤さんが、そんな話をしてくれたのを思い出す。
山に囲まれた広大な土地と、その中央を緩やかに流れる名寄川。
夏冬における寒暖差の厳しさこそあれど、この下川町はいつも穏やかに、あなたが訪れるのを待ってくれているのかもしれない。