子宝授ける伝承野菜? 野菜と人を後世に残す種とりの翁

熱狂と酔狂 ディレクターズコラム


子宝授ける伝承野菜? 野菜と人を後世に残す種とりの翁

野菜の安定生産の裏で、絶滅の危機にある伝承野菜。少しずんぐりむっくりしてたり、やたらと大きかったりするけれど、日本人がずっと食べてきた味わいは今から本気で守らないと失われてしまう。そんな野菜の種を集めて回る酔狂な翁が、山形県は庄内鶴岡におったそうな…


酒井 純信

社会の檻の錠前破りにしてひとり働きの動画屋。死んだ魚の目なんて比喩がありますが目をキラキラさせ生きるおっさんも同時代にいる。その生き様を動画で綴りインターネットに流しますので、檻から抜け出す鍵を見つけてください。


種とりの翁、よろづの種を集めけり

日本にずっとあった伝統品種の野菜達は今、絶滅の危機にある。生産の安定のために主流となったF1種の野菜に置き換えられ、気づけば昔地域ごとにあった個性のある野菜はお店の棚から姿を消していた。このままでは伝統品種は選択肢から消えてしまう。そんな状況を見かねた1人のおじさんがいた。山澤清さん、またの名を”種とりの翁”。野山に分け入り日本全国の農家や種苗店から集めた伝統品種の種を育て、そこからまた種をとる。そうして伝統品種の種を守っている。誰かがいつか育てたくなった時、種が無くなっていれば取り返しがつかないからだ。

命のゆりかごがただの水溜まりに?農薬の副作用

昔から大規模な農業が行われ、穀倉地帯として名の知られた山形県庄内町。若かりし頃、山澤さんは農薬のエンジニアとして働いていた。「形の揃った野菜が安定して取れるように…」と、地域の農家を応援するために働いた。その結果、F1種(※1)の栽培と農薬の組み合わせによって生産が安定し、野菜の収量は伸びた。しかし、畑からは虫がいなくなっただけでなく、あぜ道や周辺に生えていたカラスウリなど、虫の媒介で受粉していた植物達も姿を消した。さらに、その後産まれた山澤さんの長男がアトピー性皮膚炎と診断されたり、子供の頃の遊び場だった田畑の風景が変質していく様子を見て、農薬によって土壌のバランスが崩れ、地域の生態系が壊れ始めた事に気付いた。

※1 異なる形質を持った品種を交配した種類で「ハイブリッド」とも呼ばれる。生育スピードや形などが揃いやすく、病気にも強いため大量生産が可能となる。

種無しと子なしの野菜

食べやすいように種をなくす処理をしたり、生産効率のため成長性や病気耐性の優良な作物を産むF1交配種を育てる。そんな流通のための野菜ではなく、地域ごとにずっと続いてきた伝統品種も食べてもらいたい。「一度途絶えたらもう食えなくなるんだよ。言ってもわかんねぇから食べにきてくれ。」と、山澤さんはレストランも開業した。(2023年現在臨時休業中)

レストランには山澤さん、いや、種とりの翁が待ち構える温室を通過しなければ入れず、行きと帰りで翁による濃密な『お野菜教育』が施される。翁の温室では、無農薬で野菜を作るため、虫食い対策として山からカマキリの卵を取ってきて育てていたり、スズメバチに青虫を捕食してもらったりしている。また、子供たちにも命のサイクルを知ってもらおうと、野菜を成長順に観察できるよう畑を設計して、季節ごとの野菜の旬を可視化してある。

えぐみと旨味の共存

翁のレストランでは、各地の在来種を季節に合わせて提供する。ナスの季節には様々な地域のナスが、ウリの旬には何種類ものウリが1つのプレートの中に盛り込まれる。食べてみると皮や実の歯応えが普段食べているものより硬かったり、味も苦味や渋みが立っていたりする。繊維感が感じられるものや、酸味や甘味が強く出る品種もある。世の中に多く出回っているF1種はバランスが良くクセが少ない一方、個性の強さこそが伝統品種の特徴と言える。野菜達は手をかけすぎないよう料理され、伝統野菜らしい個性を味わえるよう提供されている。「俺は美味いって一言も言わねぇんだ。日本人がずっと食べてきた心の味を食べてください。」翁が伝えたい事は、このプレートに詰まっている。

思い出した頃には無くなってる

農翁は効率的な農業を推進する地域で、農業の転換期に農薬に関わったからこそ、失われていく伝統品種の野菜達に気付けた。失われた土壌の多様性を取り戻すのは大変な事だし、昔のトマトの味を懐かしんでも、種がなければ育てることはできない。種は“更新”しつつ保存しなければならず、骨が折れる。それでも「野菜の多様性と生態系の豊かな土壌が本当に必要とされないなら、需要は無くなるから。そうなったら俺が死んだ時に一緒に種も燃やしてくれ」と、翁は語る。

ツンデレ翁は今日もたくさんの伝統野菜を育てている。今私たちが食べているような「味が安定化された野菜」とは違い、えぐみや苦味があったりするけれど、日本人がずっと食べてきた滋味と桂味(心で感じる味)のある、心と記憶に響く野菜たちだ。翁と野菜、どちらもアクは強いが旨味もすごいので、是非体験してほしい。